令和4年2月前半の法語

2022年2月2日2時には何かあるのでしょうか。

2という数字が続くと、何か良いこと起こりそうな気がします。

でもこれも時間の一過性の中にある、人間の欲望でしょうか。

 

オミクロン株の蔓延に伴って、今年も門信徒会総会を開催することが困難と、役員会で決定されました。

実に残念な限りです。

浄土真宗のご法義相続は、今日まで「3密(密閉・密集・密接)」で繋がって来たことが多かったとを考えると、

今後の在り方を検討していかねばならないでしょう。

お寺に住まいさせてもらっている者として、今後の寺の存在意義、寺からの発信を真剣に考えねばなりません。

 

今月の法語は、

「お前の 後生の一大事 大丈夫か」

と、厳しい自問自答の言葉にしました。

今の私たちの暮らしの中では、死は見えなくされており、死者は直ぐ片ずけられてしまう。

見渡す限り、生きているものばかりの景色。

私は僧職にありながら、自分の後生の一大事はすっかり棚に上げてしまっているのでは。

死者のかたづけ役に夢中になっているのでは。

私たちの周囲には、今はなき父母、縁者、知己、友人など、限りない故人たちが、その生涯かけて語り掛けてくれて

いる「いのち」の叫びが取り巻いているのです。

にもかかわらず、耳を傾けることもなく、目先の利害、損得に振り回されて生きているのではと思うことです。

年末年始、門徒、知人、友人の往生の姿を通して、私自身に呼び覚ましてくれる厳しいこの言葉が思い出されてきま

した。