令和2年11月後半の法語

 西宗寺の報恩講も終わりました。

 11月14日夜、15日午前、午後の3回の席にそれぞれ、新しい参詣者、

ご家族連れのお参りがありました。

コロナ禍で例年とは違う状況の中であっても、このようにご門徒のみな様、

ご縁のみな様がお参りくださったことに、寺族(寺に住まわせていただいて

いる者)としては、うれしい気持ちになりました。

親鸞さまのお姿、そしてその教えを通して、現代に生きる私たちが、しっかりと

自分を見つめながら共々に日々を過ごしていきたいものです。

報恩講とは、お礼と気づきのthanks giving day(サンクス ギヴィング デイ)

ではないかと思うことです。

私もこの度、島根県の石見地方のお寺にご縁を結ばさせていただきました。

過疎地の中で伝統をしっかり繋いでいらっしゃるお姿に、学ばさせてもらいまし

た。

 

 枯葉が1年の仕事を終えて、一枚、また一枚と散っていきます。

「ご苦労さんだったね」と言ってやりたいのですが、

掃除をするほうとすれば、正直、ヤレヤレ・・・の思いです。

 

 今月後半の標語は、

  「なんでもわかているとしている こころの闇(くら)さ 

                 闇(やみ)を照らす光がほしい」

としました。

私の眼は外を見るようにできている。

残念ながら自分で自分の眼は見ることが出来ない。

自分の命が見えない。

自分自身が闇みなのだ。

闇だと知る光がほしい。

思い出しました。

「人の姿は見ゆれども 鏡に映らぬわが心」

私に問いかけています。

知ったかぶりはありませんか。