令和2年10月前半の法語
10月に入りました。
彼岸花が咲き、窓を開けると早くも木犀の匂いがプーンと漂ってきます。
秋真っ盛りです。
先日もご門徒さんが、収穫したお仏飯米を自分たちが食する前に、本堂に運んでくださいました。
有難いことです。
その心持に頭が下がることです。
秋風が吹くこの頃になってくると、今年もたくさんのご往生の場面に合わせていただきましたことを思い出し、
今月の標語を書きました。
『 ひとりの人の死は 悲しい
しかし 残された私たちが そのことから何も学ばず 何一つ新しく 生み出せなかったら
それは もっと悲しい』
としました。
浄土真宗では、亡き人々は諸仏として受け止めていきます。
諸仏とは、
この私に目を覚まさせる働きだ、
と教えられてきました。
しかしその働きに気づくか、気づかないかは、
残されたもの一人一人の問題であって、決して亡き人に問題はないのです。
亡き人から、逆にその生の意味を問いかけられ続けていくことに気づくことこそ、
私たちの日常があるように思います。