令和4年11月前半の法語
11月に入りました。
私の誕生月でもありますし、宗祖の報恩講の行事も控えています。
境内の桜の枯葉も風に散り、残すところあとわずかになってきました。
その代りに、庫裡の裏手にある銀杏の木の葉が、だんだんと色づいてきました。
霜月になり、季節の移り変わりが一層感じられます。
今月の法語は、
「私の誕生を 泣いて喜んでくれた 人がいた そのことだけで 私は 生きていける」
としました。
随分前に、京都の真宗仏光寺派のご本山仏光寺の門前に掲げられていたものです。
80歳に残すところあと2年になろうとする者が、いまさらと思うのですが、
今年は戦死した父に詳しい方にお会いして、自分の誕生の時のことを想像したことです。
父に赤紙が来て戦地に向かうとき、私の祖父母、臨月の母、ご門徒はどんな状況であったか、
ウクライナの新聞を見ながら、想像することです。
貧しい中で法を求め、宗教家になりたいと必死に学問した父の姿を伝え聞き、
私も残された年月を、求道に努めたいと思います。