令和4年9月前半の法語
9月に入りました。
田んぼは、黄色く頭を下向きにしている稲穂が、目立ってきました。
先月25日には、早速お収穫したての仏飯米、を
本堂にお供えがありました。
毎年のごとく、自分たちが作ったものを、自分たちが食する前に、
仏前にお供えされる姿に、現代社会に忘れられているものを、
感じさせていただいています。有難いことです。
今月の標語は、「合掌して ご飯をいただけない人は 不幸な人だ」としました。
昔から「米」は八十八の手を得て、食べられると聞かされてきました。
現代はコロナ禍や、ウクライナの現状から、
当たり前が当たり前でないことに、気付かされているはずです。
「多くのいのちとみなさまのおかげにより このごちそうを恵まれました。
深くご恩を喜び ありがたくいただきます。」の食前の言葉を、
再確認したいものです。
此の心掛けに気が付く人は、何事にも喜びがわいてくるのでは?