2024(令和6)年9月前半の法語

九月に入りました。

夕食後のほっとしたとき、夜、風呂に入っている時、虫の音が心地よく聞こえてくるようになってきました。

そんな中に、

「ご院家さん、新米が出来たけん、本堂前に置いといたけん」

と、出雲弁で収穫できたての仏飯米を運んでくださったご門徒さんがありました。

何十年になりますか。

自分たちがいただく前に如来様にお供えされる姿に、ただ頭が下がるのみです。

我先にという、今の社会、家庭、職場に厳しい教えを受けているようです。

今月前半の法語は、

「いづれの行も およびがたき身なれば とても地獄は一定 すみかぞかし」

『歎異抄』第二条の言葉にしました。

厳しい修行に長年励み、完成することができれば聖職者と呼ばれる姿なるのかもしれませんが、

煩悩にまみれた私たちは、たった一つの修行も徹底できず、迷いの世界をでることのできない、

地獄こそふさわしいすみか。と教えられるのです。

その者にこそ「見てござる 聞いてござる 知ってござる」のお念仏の道を教えていただき、

「ありがとうございます」の日暮らしをさせていただこうではありませんか。