2025(令和7)年11月後半の法語

 住職ノートから前住ノートに変えることにしました。

いささか気分も変わった様な気がします。

でも気まぐれな、横着な私のことゆえ、これまでのようにゆったりと書いていこうと思います。

今月も門前には早く書きながら、HPでのコメントが6日も過ぎてしまいました。

今月15日、16日は、宗祖親鸞聖人の報恩講法要を、熊本県から出向していただいた藤岡師の法話を聞きながら

お勤めしました。

どうにもならない煩悩を抱えたこの私に、そのまま来いよの呼び声を届けてくださった親鸞様に感謝をすることを

懇切丁寧に、お話しいただきました。

五木の子守唄、奥様のご往生、隠れ念仏のお同行を通しての有難いご法話でした。

ご門徒のご家族一人ひとりに聞いてほしく思ったことです。

自分たちの生きている姿、生きていく姿を問う法座に今後してほしいと思いました。

法要前後に相次いでご葬儀が重なり、庭に舞い散る枯れ葉の思いを一層濃くしたことです。

今月後半の法語は、

「あたりまえが いつの間にやら おかげさま」

としました。

最初は有難いと思っていたことも、次第に「あたりなえ」と思うようになっていく、習性を持っているようです。

いのち、健康、食事、電灯、あらゆる日常生活、などなど。

それらは、本当に当たり前なのか。そこに縁って起こる縁起の考えを再確認したいものです。

そこには「ありがとう」「おかげ様」しかないでしょう。