2025(令和7)年8月後半の法語

8月も後半になってきました。

今年はセミの声が、少ないなと思っていたのに、

最近、ヒグラシの声が心地よく聞こえてきます。

ところが、網戸の近くや玄関に横たわっているセミの姿をよく見かけます。

せっかく明るい世界を知ったにもかかわらず、亡くなっている姿に心が痛みます。

 

8月は、「死、命、いのち」を考える月と前回書きました。

終戦記念日前後に一層痛烈に、身に迫ってきます。

様々な人の1944年、1945年の体験を見たり、聞いたり、読んだりするたびに、

(出征した)私の父は、どんな精神で戦地にいたのか?

宗教家になりたいと学問し、信心を深めた人間として、どんな精神で人を殺す武器を持ったか?

今はただ、フィリピンの土となった姿をイメージするほかありません。

切ない、悔しい、恐ろしい気持ちが迫ってきます。

現代の若い人たちに伝えていかねばなりません。

私自身が81歳まで何かしてきたか、厳しく問われているようでなりません。

 

今月の法語は、

「これほどの 御恩をいただきながら いい気になって 日を過ごす あさまし 恥ずかし」としました。

門前の字は、孫が書いてくれました。

書いた本人は、この言葉をどのように受け取っているでしょうか。

残暑厳しい毎日です、くれぐれもご大事に。