令和3年4月前半の法語

西宗寺の桜が満開です。

ソメイソシノも山桜もいっせいに咲き、花咲寺そのものです。

夜はライトアップを11時までして、通る人に楽しんでもらっています。

少しでも花が長持てして、私達寺族(じぞく:寺に住まわせていただいている

者)だけでなく、沢山の人に見てほしいものです。

 

そんな中、昨日、今年広島の大学に進学する女生徒さんが、出発前にお母さん

と一緒に本堂に参ってくれました。

桜の下で写真を撮って、これからの学生生活をしっかりとエンジョイするよう

話し合ったことです。

 

そして、「筍」の季節もやってきました。

山で採れたからと、お届けくださった方々がありました。

有難いことです。

早速、醤油で、味噌で炊き、庭の片隅に芽吹き始めた山椒をちらしました。

夕食の一杯が、格別美味しいことです。

 

さて、4月前半の標語はやっぱり九条武子様(※)の

  みずや君 明日は散りなん花だにも

             力の限りひとときを咲く」

としました。

時折、吹くそよ風にヒラヒラと舞っていく花びらを見つつ、

「何時かはこの世を去っていかねばなりません、

であればこそ、今をしっかりと生きねば」

と、炬燵に入りながら我が姿を考える、今日この頃です。 

 

 

※九条武子(くじょう たけこ)

  1887年(明治20年)10月20日~1928年(昭和3年)2月7日)

  西本願寺の第21代法主・明如(大谷光尊)上人の次女として生まれられ、

 九条良致(くじょうよしむね)さんと結婚。

  仏教に基づく女子高等教育の機関として、京都女子専門学校(現・京都女子

 学園、京都女子大学)を設立されました。

  1923(大正12)年の関東大震災では、ご自身も被災されたにもかかわらず

 全壊した築地本願寺の再建、震災による負傷者・孤児の救援活動(「あそか病

 院」などの設立)など、さまざまな事業も推進されました。

  また、佐佐木信綱に師事し、歌人としても多くの歌をのこしておられます。