2023(令和5)年6月前半の法語
6月に入りました。
早いもので今年も、半分過ぎたことになります。
そんな中、何をして生きてきたのだろうか、反省することしきりです。
毎日、寺の周囲をウォーキングしながら、自然の移り変わりを通していろいろ考えさせられることです。
今月の法語は、
「亡き人の 身を案ずる人は 多いが
亡き人の 思いにきずく人は 少ない」
としました。
葬儀に参列すると、様々な思いを抱く人がいらっしゃいます。
浄土真宗では、
亡くなった方々を浄土に還ったいのちであり、諸仏として私たちに問いかけ続けている。
と、考えてきたといえるでしょう。
残された人が『死と向き合い』、『死を受け止め』、
そして『亡き人を偲ぶ』ことであろうと。
『霊』という概念によって縛られる考えとは異なる、ということは知っておきたい。
死は考えたくないかもしれないが、皆が必ず行く世界。
死はその人の「終わり」を意味する。
がしかし、同時に残されたものにとっては、たずね続けていく『始まり』を意味するであろう。