令和5年8月後半の法語
今夏は、まさに地球がどうなっているのかと思わせる、極暑でした。
今日23日は、松江市は朝から雨模様で、どことなく秋の気配が感じられるようです。
残す数日で、秋の姿になってくるのでは?
周囲の田んぼでは、稲穂が黄色く色づいてきました。
昨日、島根大学図書館で開催されている、隠岐郡西の島町出身の山本幡雄「戦争と平和を考える2023~ラーゲリ(収
容所)にいた島根の人たち~」の展示を見にいきました。
ロシア抑留の様々な思いを、友達の言葉を通して手紙に託された、展示でした。
あっては、決してあってはならないのです。戦争は。
平和な世界にのさばっている私たちは、知らなければならい。
苦しい、悲しい時代のことを伝えなければなりません。
私は、再び戦死した父のことを思い出し、「78年生きてきた私はこれでいいか」と自問自答していることです。
数日前、こんなことがありました。
「おぼえてくださっていますか、十年前ご葬儀をしていただいたものです、高齢の母が厳しい状況です。
もし事があればお願いします。」
との電話でした。
また、小学校にお勤めのご門徒さまが盆参りに来られ、
「いつもご住職には、教えていただいて。新学期に向けて、張り切ってやります」と。
こちらは忘れていても、訪ねてくださる方がいます。
意識せずに語った言葉を、真剣にうけてくださった方がいらっしゃいます。
僧侶として残された人生を、大事にしなければと再確認したことです。
今月最後の法語は、
「貧しい人とは 少ししかものを持っていない人ではなく 無限の欲があり いくらあっても満足しない人」
としました。
聞かれた人もあると思います。
ウルグアイの大統領 ムヒカ氏の言葉です。
貪欲、瞋恚、愚痴の三毒に塗れた私たちの姿を、表現された言葉と味わっています。