令和6年7月前半の法話

「光陰矢の如し」

若い時の一日が24時間なら、歳をとっても24時間。

一日の時間は変わりないのに、最近やたら月日の経つのが早く感られるようになりました。

今朝の地方新聞に、この現象は「ジャネーの法則」という、と書いてありました。

ずいぶん前から法話で、

「人間、何でもたくさんあるときには呑気でいられますが、わずかしかないと思うと、そうはいきません。

人生の1日に対する感じ方もそのあたりに関係しているかもしれません。

1日1日が、二度と帰らない大切な日だと、あまり考えていない。・・・・・」

と。

 

昨日、かねがねお世話になった、私より若い近くのお寺の前住職の葬儀でした。

「お世話になりました、ありがとうね。」と、お念仏しつつ合掌したことです。

 

今月前半の法語は、

「生命(いのち)を食べて 生きている 罪の重さを 知らず」

としました。

毎食前に口にする、

「多くのいのちと 皆様のおかげにより このご馳走を恵まれました。深くご恩を喜び ありがたくいただきます。」

の言葉を、改めて考え直したことです。

今だけでなく、

「過去の宿善 厚きがゆえに」の言葉を思い出しています。

今の私たちの上に、多くのいのちと、多くの願いがかけられている存在なのですね。

蒸し蒸しする毎日の中で、テーブルの上の料理に、改めて思いを巡らしてめてはいかがでしょう。