2025(令和7)年1月後半の法語

一月もすでに半月も過ぎました。

先日、京都 西本願寺に、宗祖親鸞聖人の報恩講にお参りしてきました。

御影堂での法要は、寒い中でのお参りでした。

沢山の参拝者とともにお念仏を称えると、何とはなしに涙が出る思いでした。

私だけでしょうか。

特別講演も聞かせていただきましたが、

むつかしい教義より、今の貴方にそのことはどうなっているのかを、聞かせてもらいたい思いでした。

しかしこの感覚も、本当の聴聞の姿勢とは違っているように自己反省もしたことです。

 

今月後半の法語は

「敬われる人になるよりも 敬う人になれ 拝まれる人になるよりも 拝む人になれ」

としました。

現代社会、敬われたり拝まれることを期待している人が多いのでは?

そうではなく、自らが敬い、拝む姿が大切のように思うのですが?

私自身、僧侶として本当に身業説法しているのか考えたことです。