令和2年8月後半の法語
お盆も過ぎましたが、猛暑が続いています。
今月8日ごろから、各ご家庭のお仏壇にお参りをさせていただきました。
途中、松江市でもコロナのクラスターが発生し、いったん案内を出した参拝日時をどうしようか寺族で話し合い、
電話で意向を聞くことにしました。
このような状況でも待ってくださっている家庭が多いことに、有難い思いをしました。
そんな中、
戦後75年を迎え、戦争遺児として過ごしてきた自分は、こんな姿でよかったのか、しみじみ考えさせられている今日この頃です。
宗教家として、父は人を殺す武器を、どのようにして持っていたのか。
このようなことは、二度とあってはなりません。
さて、今月後半の標語は
朝には紅顔ありて 夕べには白骨となれる身なり
の言葉にしました。
有名な蓮如上人のご文章の一節です。
私たちは限られた命と知っておりながら、なかなかその生き方を考えようとしない。
避けようとしてはいないか。
ある方が、
「人間は宣告なき死刑囚」とおっしゃったことを思い出します。
コロナが襲う今次であればこそ、
今「いのち」を考えたいものです。