令和2年7月後半の法語
7月も後半になってきました。
いつもなら夏休み前で、子供たちは海に山に楽しみにしたことでしょうに・・・。
それに追い打ちをかけて大雨。
そしてそれに伴う水害、山崩れ等々、大災害で不安と恐怖の中で過ごしていらっしゃる方がたがいらっしゃることを思えば、
お見舞いの電話をするくらいで、どうもできない自分にイライラするばかりです。
かえって、遠方の学友からこちらを心配する電話をもらったりして、恐縮するばかりです。
今日7月16日は、当山の常例法座でした。
13名のお同行と「法事」について考えました。
久しぶりに来られた方もあり、うれしい気持ちになりました。
みなさんから、「慶事と一緒にやってもいいか?」「 50回忌以上のご法事はどうするか?」など積極的に話があり、
一緒に話し合える場を持つことができました。
さて、今月後半の標語は
「仏さまに遇う “人生は苦なり” だからこそ 生きている間に 助けていただく」
としました。
ご法事を含め仏事は亡くなってからのこと、年取ってからのこと、と考えている方の多いこの地方です。
キリストさんにしろ、マホメットさんにしろ、はたまたマルクスさんにしろ、もちろんお釈迦様も、
喜怒哀楽の情を持ちながら生きているこの私たちを救わんがためにお出ましになり、教えを説いてくださったのではないでしょうか。
苦なる人生であるからこそ、寂しく生きるのでなく、その苦悩を支え、一緒になって、豊かに生きてくれよと願ってくださっているのが、
私たち仏教にご縁をいただいているものからすれば、南無阿弥陀仏の仏さまではないでしょうか。
仏さまの願いを、お心を、お聴聞続けていきましょう。